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海辺の町アンコンとその歴史

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アンコンの歴史の中で重要なものにエルナンド・ピサーロ(Hernando Pizzarro)による遠征、征服の時代があります。後のラテンアメリカ諸国独立の時代には、解放者であるホセ・デ・サン=マルティンと彼の軍隊がアンコンの浜辺を訪れており、そこでトマス・コクラン卿(Thomas Alexander Cochrane、またLord Cochraneとして知られる人物)によってスペイン王室最強の軍艦「エスメラルダ号(La Esmeralda)」がリマ海岸部の町カジャオで拿捕された知らせを受け取っています。

独立達成後の共和国時代には、非常に重要な、二つの歴史的出来事がありました。ひとつは、1869年6月に当時の大統領だったホセ・バルタ(José Balta)によってアンコンがひとつの町として創設されたことであり、もうひとつは、「アンコン条約(Tratado de Ancón)」として知られる平和条約が、チリ共和国との戦争の最中、アンコンのランチョ・グランデ(Rancho Grande)と呼ばれる邸宅でつくられたことです。
1869年の年末ごろは、アンコンへの交通は不便であったため、1870年にリマ市とチャンカイ市をつなぐ鉄道が建設され、アンコンに駅のひとつがつくられました。この鉄道建設の設計と完成は、技師のフェデリコ・ブルーメ(Federico Blume)の指導によって行われました。

さらに数年後、マヌエル・パルド・イ・ラバージェ博士(Dr. Manuel Parde y Lavalle)が大統領として政府を運営している時期には、アンコンの町は、1874年の法律によって区として発展しました。
1900年代のはじめには、アンコンは海辺の町のひとつとして知られはじめ、そこは浜辺と海に向かい合う邸宅が立ち並び、休暇や娯楽を楽しむ場所として人々に親しまれました。1954年につくられ、現在ものこるフェレイロス桟橋(実際には、1875年以降には橋の原型は存在していました)の名前は、愛国主義者(パトリオット)として知られるマヌエル・バルトロメ・フェレイロス(Manuel Bartolomé Ferreyros)の活躍を記念してつけられています。

アンコンの海辺は、政治家、政府、軍人、貴族、知識人たちと多くの人々を魅了してきました。そして、アウグスト・B. レヴィア(Augusto B. Leguía)が大統領として政府を率いていた時期には、親しまれる夏の海辺としての名声を得ており、アンコン歌謡フェスティバル(1969-1970年)が開催されていた頃まで、その名声は知られていました。
1967年には、アンコン遺跡博物館及び文化活動協会(Patronato del museo de sitio y actividades culturales de Ancón)が、アレハンドロ・ミロ・ケサーダ・ガルランド博士(Dr. Alejandro Miró Quesada Garland)と技師のオラシオ・アルベルティ・ニコリニ(Horacio Alberti Nicolini)によって、かつてアンコンに発展した様々なスペイン征服以前の社会その文化的遺物を展示する場所をつくることを目的に設立されました。そして、1993年2月13日にリマ美術博物館(Museo de Arte de Lima)の協力をえて、アンコン遺跡博物館に常設展示室が開設されました。
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